2010.08.27
第2話
浴場を出ると赤い絨毯の廊下があり、左手の先にはロビーが見える。隣の男湯からは会話は聞き取れないものの、やたら騒がしくはしゃいでいる声が遠巻きに聞こえてきた。
この宿は二階建てで、二階には寝泊りするための部屋がある。二人はロビーから昇る階段へ向かった。
「今の、すごかったね。みんなツナギでSlipKnoTでもやったのかな」
降りながら横を通り過ぎて行ったツナギを着た人々を見て、マコは言った。
「あれってうちの部員じゃないですよね?そっか、貸切じゃないんだ」
うん、と応えるマコ。
階段の昇り切って、部屋まで歩く二人。ドアが開け放たれたままの部屋もいくつかあり、その様子を垣間見ながら。
彼女達は軽音楽部が女性用に設けた一室に向かっていたが、途中開いたドアから覗いて察するに、自分らの団体の男子部員達は特に面子を固定してそれぞれの部屋に集まっているというよりは、目的別に区分されているようだった。
楽器を練習する部屋や、酒を飲みながら談笑する部屋。誰かが持ってきた持ち運びのできる卓付きの麻雀セットが設置された部屋は、麻雀を打つ人が吸う煙草の煙で白く曇っていた。
「あー自由だあ。帰りたくなくなんね、こりゃ」
「まだ一日目ですよ、マコ先輩」
そう言って、ペー子は自分らの部屋のドアを開けた。
マコはすぐに駆け込み、二人分の布団を横断してうつ伏せに寝そべった。
「うーん最高!ペー子ー、化粧水取ってー。机の上の水色のポーチにあるはずー」
「はいはい」
寝返って、仰向けのままマコは化粧水を顔に付け始める。
「先輩、どんだけ横着なんですか」
「いやー癒される……。ペー子乳液取ってー」
「えー」
「えーとか。えーとか言っちゃうのかい君は。まあいいや」
よいしょ、と呟きながら起き上がり、マコは座って鏡とにらめっこするペー子を見る。
「ねえペー子、長袖暑くない?私Tシャツでもちょっと暑いんだけど」
「私冷え性なんで」
「じゃあクーラーはかけない方がいいか。窓は開けて平気?」
「大丈夫ですよ」
マコがガラス窓を開けると、何か小さいものが網戸にくっ付いている。一匹の緑色のカメムシだ。彼女は、カメムシを網戸越しに指でピンと弾いた。網戸は衝撃を受けて小刻みに揺れたが、カメムシは微動だにせず位置を変えないままそこにいた。マコはそれを、しばらく意識でも飛んでしまったように惚けた表情で眺めていた。
「どうしたんですか?先輩」
ペー子の言葉で、マコは我に帰る。
「いやいや、なんでも……。ああ、風気持ちーね」
マコの様子を少し訝しげに思いながらも、そうですね、とペー子は言った。
「ペー子、さっきの男部屋にお酒飲みに行こっか!」
「……いいですね」
二人は電気も付けたままで、部屋を出て行った。
インターネットの世界から突如現れ、2010年代の音楽シーンで最大の事件となったバンド「神聖かまってちゃん」のドラム担当。唯一メンバー募集で加入の女性メンバーでありながら、その空気の読めなさと腐女子属性をしてバンドに欠かせない存在に。
神聖かまってちゃんオフィシャルサイト
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