2007.11.12
vol.4「赤いジャンパー」
ぼくが通っていた阿佐ヶ谷美術専門学校では、入学式から数ヶ月経っても一向に友達は出来なかった。
学校の連中はとにかくお洒落で、何万もするGパンを履いてくる人や、鼻にピアスをあけ、脹ら脛にタトゥーをいれてる人、ベスパに乗って3つボタンのモッズスーツを着てくる人、赤い髪、青い髪、緑色の髪、昨日雑誌でみた「今シーズン一番熱い」ファッションを学校中で見ることができた。
中学の頃から着てる時代遅れのエドウィンのGジャンと、高校の同級生から借りっぱなしのボロボロのGパンでは到底太刀打ち出来るわけがない。
しかし、ぼくにはお気に入りの真っ赤なジャンパーがあった。このジャンパーは山形での最後の冬に買ったもので、それまでで一番高い買い物だった。
雑誌に紹介されていた2万円のアバクロンビーの真っ赤なアノラックジャンパー。ぼくはそれを小学生から貯めていた貯金を使って東京のお店から買ったのだった。
それにしてもみんな派手な格好や派手な色の髪をして、よくもまあ堂々と街を歩けるもんだと思った。が、内心は羨ましいと思っていた。彼らは若さを十二分に謳歌していた。
同級生の彼らからは、「ムラッチ」というあだ名で呼ばれ、最初はぼくの東北訛りも面白がられていた。
そう、ぼくは彼らと友達になる機会はいくらでもあった。
「新宿のクラブでイベントやるからさ、ムラッチも来なよ」「ムラッチはどこのショップに行く?」
「どんなん聴いてんの?」
ぼくは少しでも彼らに近づければいいと思って、デタラメばかり言っていた。
けどやっぱり話なんか合うはずがない。ショップなんて知らねえもの。音楽なんて聴かねえもの。
今、君には彼女がいるか、ナンパはしたことがあるか、いつ童貞を捨てたのか、君はどんな生活をして、将来は何になりたいのか、不安はないか、毎日眠れる?……ぼくはそこに興味があるんだもの。
まだ肌寒い6月のある日の夕暮れどき、学校を終え、いつものようにお気に入りの真っ赤なジャンパーを着て武蔵境駅から寮までの道を歩いて帰った。
その途中、ぼくの足は駐輪場へと向かった。
他人の自転車を盗むためだ。
小学四年生のころ、真夏のプールの帰りによった近くのババ店「さとう商店」で、ぼくは見た。
中学生が冷凍庫にさっと手を入れ、すかさずスイカバーをポケットに入れた瞬間を。
ぼくはすぐに店のおばちゃんに伝えた。何事もなく仲間とともに自転車にまたがろうとした犯人の中学生はいとも簡単につかまった。
ぼくにとってその中学生は完全に「悪」だった。けれど中学生のその「悪」の行為にドキドキしたのも事実だった。
高校生になるとぼくは山形駅前の駐輪場やパチンコ店の駐輪場で鍵の掛かってない自転車を盗むことを覚えた。
鍵の掛かってない自転車なんてあるわけない。
…けれど、あるのだ。
武蔵境の駐輪場で、ぼくは他人の自転車にまたがり、ゆっくりとペダルを踏む。東京に来てこれが二度目だ。…罪悪感と達成感、そしてスリルがあった。
この日はなぜかいつも通る独歩通りの商店街とは違う大通りを通って帰った。
…警察官がいた。
二人の警察官は自転車に乗っている人を道で止め、盗難車かどうか調べている。
ぼくには声をかけてこないだろう。ライトも点けてるし、なにも怪しまれる要素はないはずだ。
50メートル、40メートル、30メートル、徐々に警察官との距離が縮まる。
距離が10メートルになったとき、ぼくはとっさに警察官が立っている歩道と逆の車線へ移動した。
急に怖くなったのだ。案の定それがまずかった。
警察官が「すいませーん。ちょっといいですか?」と声をかけてきた。
ぼくはとっさにペダルを思い切り踏んだ。
「止まりなさい!!おい、止まれ!!」後ろから聞こえてくる警察官の声がさらに自転車のスピードを上げた。
「おいっ、止まれ!!」
声が遠くならない。と、一瞬後ろを振り向くと物凄い形相をした警察官が走りながらぼくに向かって真っ直ぐに手を伸ばしている。
ママチャリが出せる最速のスピードにも関わらず、なんとこの警察官は自転車にぴったりついてきていた。
「うおー!!!!」
ぼくは自転車をこぎ続けた。
スピードを落とさず大通りを左折する。もう警察官は走ってきていないことはわかったが、ただひたすら前を向き全身の力を込めてペダルを踏み続けた。
もう長いこと走った。足もガクガクだ。
車が近づいてくる音が聞こえたので道を譲ろうと一度後ろを振り向いた。
パトカーだ……。
「ぬ、ぬぅー!!!!」
再び全速力。
右折して左折して…、車にかなうわけないが、ぼくは歯をギシギシ音がなるほど食いしばり、ありったけの力を使って闇雲にペダルを踏んだ。
長い直線の通りに出た。パトカーのスピーカーから出る「止まりなさーい」の声がどんどんどんどん大きくなる。
もう駄目だ!! 諦めよう。
バチン!!
自転車後部の泥除けにパトカーのフロントバンパーが当たる。
その瞬間、視界の左端に畑が見えた。ぼくは迷わずその畑に加速する自転車からダイヴした。
ガラガラガッシャーン!!
早く、早く逃げなければ!!
赤いジャンパーが土にまみれる。
ひぃー!!
……。
足が動かない…。
自転車をこぎすぎたせいか、警察に追われてるという恐怖からか、ぼくの足が動かない…。
畑のぬかるんだ土の上に立つことで精一杯。
それでも警察に捕まりたくないという気持ちが、ぼくの足を一歩一歩前へ動かした。
怖くて自転車がどうなったか、警察官がどこまで来てるのか後ろを振り向けなかった。
なんとか民家の塀を乗り越え、鎖につながれた柴犬に吠えられながら庭を抜け、民家の向かいにある高層マンションへ逃げ込んだ。そのとき、逃亡していたぼくの特徴的な赤いジャンパーを、マンションの乾いた側溝に無理やり押し込んで隠した。
階段をしゃがみながらマンションの最上階まで登る。
何時間経ったろう。おそらく実際には30分くらいだったが、そのときのぼくには何時間にも感じられた。最上階から街を見下ろすとパトカーが何台も増え、武蔵境駅前は見たことがないほど騒々しかった。
ようやく気持ちを鎮め、意を決してマンションをあとにした。ジャンパーは後日取りに来よう。
寮へ向かって歩いて帰るぼく。
空はもう真っ黒い闇に包まれている。
しばらく歩くとぼくの行く手に警察官が立っているのが見えた。もう逃げられない。どんどん距離が近づく。心臓の鼓動が激しくなる。赤いジャンパーは着ていない。
唾を飲みこみ感情を押し殺し、涼しい表情を浮かべた。
警察官は一瞬ぼくの顔を覗きこんだがどうやら気づいていないようだった。
なんとか自分の部屋に着くことが出来た。
自転車の窃盗で実家に連絡がいけばぼくはもう親に見せる顔がない。
どうしても捕まりたくなかった。けれどあんなに必死に逃げるぼくを見て、おそらく警察はぼくのことを自転車窃盗以上の重罪を犯している犯人だと思っているだろう。
ぼくは部屋に着き、まずコーヒーを淹れた。あったかいコーヒーを飲みながらカーテンからそっと外を覗きこむ。
ぼくは寮から一歩も外へ出ず、四畳半の部屋に丸三日間たてこもった。その後、ぼくが隠れたあのマンションへ向かったが、側溝にはお気に入りの真っ赤なジャンパーはもうなかった。
四日ぶりに学校へ行く。いつもと変わらないコンクリート打ちっぱなしの冷たい建物。
いつもと変わらず彼らはキラキラしていた。ぼくにはそう見えた。何の変化もない退屈な日々をぼくはどうしても楽しむことができなかった。
たまにぼくに話しかけてくれるタクちゃんは、原宿にある実家から通うハーフで、バンズのハイカットの上から覗く昇り竜のタトゥーが見えるよう太めのショートパンツを履いていた。
髪はモヒカンをドレッドにしていて、ぼくはよく「ムラッチもモヒカンにしなよ」と言われた。
タクちゃんとなにげない会話をすることがなんだか東京に来た証のように思えて、ぼくから話題をふることはなかったが、理解出来ない彼の話をさも楽しそうに相づちを打って聞いていた。
ごくたまにぼくから話題をふるとしても、興奮するとどうしても訛りがでるぼくに「え!? 今なんて言った」と聞き直されることがショックで、やはりぼくはタクちゃんの話を聞いていることにした。
ぼくにはもう一つタクちゃんと話す楽しみがあった。タクちゃんと仲のいいモモちゃんの存在だ。
体も顔もちっちゃくて、少動物みたいな可愛いらしさを持っている。けれど誰よりも気が強い。
髪はポニーテールで黒い網タイツの上にピッチピチの短いヒョウ柄のミニスカートを履いたモモちゃんを初めて見たとき、ぼくは学校から高円寺駅まで全力でダッシュした。
夏はバンビのイラストがプリントされたピッチピチのTシャツ、冬はヴィヴィアン・ウエストウッドの赤くてタイトなツイードのスーツ。スカートは超ミニ。近くで見れば見るほど、近くで話せば話すほど可愛い。
可愛くってとびっきりかっこよかった。
ぼくは絶対にそうは呼ばなかったけれど、デザイン科の彼らは恐ろしいほどパンクロックに詳しいモモちゃんを「パンキー・モモ」と呼んでいた。
偶然にもタクちゃんとモモちゃん、そしてぼくは同じデザイン科の同じクラスの同じ班だった。タクちゃんはモモちゃんとすぐに対等に会話をしていた。ぼくがモモちゃんと対等に話すにはタクちゃんとつるむこと以外にない。
そうしてある日、タクちゃんが、知り合いのバンドが渋谷でライヴをやるからモモもムラッチも行こうよ、と誘ってくれた。
ナァー!!!!
ぼくは2つ返事でタクちゃんに着いていくことにした。
渋谷の109の前に集合して三人でライヴハウスへ向かう。
生まれて初めてのライヴ。
東京のライヴハウスだ。
その日は全部で3バンド。
最後に出演するタクちゃんの知り合いのバンドは近々アルバムをリリースするという。会場にはそのバンドを目当てに来た客が大勢いた。
最初のバンドがステージに登場した。
……。
なんだかとっても普通の人たちだ。
演奏を始める前にぼそぼそっと何か話すが、何を言っているかほとんど聞きとれない。暗い人たちだ。まるでこれから演奏する人に見えない。
ほとんどの客が床に座っている。
演奏が始まった。途端に何かにとりつかれたように表情が変わり、絶叫しながら思いきりギターをかきむしる。
何が起こったかまるでわからない。
彼らに客は見えていない。ぼくにはステージにいる彼らしか見えていない。
大地を揺らすほどの音がぼくの全身を包んだ。初めて体験する馬鹿デカい音と耳に残るメロディの波にのまれ、ぼくは目に涙をためた。
圧巻だった。
お洒落とは程遠い、ぼくとほとんど同じような格好をした人がステージに立って照明を浴びながらあんなに格好よく歌っている。
演奏を終えた彼らはぼくの中で伝説になった。
最後のバンドが登場するとそれまで座っていた客みんなが立ち上がった。
生まれて初めてダイヴする人を見た。ぼくは演奏しているメンバーよりも暴れてる客に目をとられた。
会場全体が熱狂的に盛り上がったが、どうしてかぼくは熱くなれなかった。最初のバンドがぼくにとって強烈すぎたからだろうか…。
みんながそのバンドに夢中になっているのに、モモちゃんは一番後ろの壁に寄りかかって見ている。モモちゃんに声をかけた。モモちゃんもつまらないと言う。
2人で外に出た。
空き缶や吸い殻が無造作に捨ててあるライヴハウスの入り口で、ぼくとモモちゃんは音楽の話をした。ぼくは音楽の知識なんて全然ない。モモちゃんはものすごく詳しい。音楽の話なんて噛み合うわけない。けれど、なぜかこのときは盛り上がった。
中からライヴの音と客の歓声やうめき声がもれている。モモちゃんの声が聞きとりにくい。
お互いの声を何度も何度も確認しながらたくさんの話をした。
そしてぼくはモモちゃんからたくさんのCDを借りる約束をして、寮の門限があるからと先に帰った。
モモちゃんを誘ってふたりきりで渋谷の街の喧騒の中に消えてしまいたい。何度もそう思ったが、そのときのぼくは、CDを借りる約束をしただけで充分だった。
1978年1月15日生まれ。
やぎ座。O型。山形県山形市出身。中学生の頃のあだ名は「ゴボウくん」。
バンド「銀杏BOYZ」元ドラム担当。